[ニュース]2020.11.17
「K'FESTA.4」1.24(日)代々木 京太郎がプロボクシングからK-1に復帰!「K-1に出れば芸能人と結婚できると思いまして…」記者会見で京太郎節が炸裂
「K'FESTA.4」1.24(日)代々木 京太郎がプロボクシングからK-1に復帰!「K-1に出れば芸能人と結婚できると思いまして…」記者会見で京太郎節が炸裂
11月17日(火)都内にて記者会見が行なわれ、2021年1月24日(日)に開催される「K-1 WORLD GP 2021 JAPAN〜K’FESTA.4」国立代々木第1体育館大会に、かつてK-1のヘビー級戦線でも活躍した元プロボクシング日本ヘビー級王者・京太郎の参戦が発表された。
京太郎は2006年にキックボクサーとしてプロデビューし、2007年から旧体制のK-1に参戦。第2代のヘビー級王者にもなった。その後、全日本プロレスでプロレスの試合も経験。2011年にはプロボクシングに転向し、日本ヘビー級王座、OPBF東洋太平洋ヘビー級王座、WBOアジア太平洋ヘビー級王座と三つのタイトルを獲得したが、先日プロボクシングからの引退を表明。先頃、K-1 JAPAN GROUPと契約を結び、2010年以来、約10年ぶりにK-1のリングに戻ってくることが決定した。
なお、復帰戦の相手に関しては、会見に同席した中村拓己K-1プロデューサーが「K-1にはヘビー級とクルーザー級(90kg以下)があるので、どちらで戦うのかも含めて、対戦相手のことも調整していこうと思います。クルーザー級は日本人選手も多いですし、京太郎選手と対戦相手が並んだ時に面白そうと思える、ワクワクするような相手をぶつけるのがいいと思います」とコメント。「京太郎選手しかできないことがたくさんあると思うんで、そういったものをK-1という舞台で実現させて、皆さんに楽しんでもらえればと思っております」と、かつてのヘビー級王者の活躍に期待を寄せている。
その京太郎は会見場にピンクのアフロのかつらを被り、奇妙な眼鏡をかけ、さらに馬のマスクと狼のマスクを被った謎の人間たちに、それぞれベルトを持たせて登場。奇抜なキャラクターに一層の磨きをかけてきた京太郎は、「僕はK-1からスタートし、その後にプロレスを1試合やり、ボクシングをやり、そしてまた最後にK-1ということになりました。僕はK-1に対して遊びに来たと思っていて、遊びも真剣に取り組まないと何事も成功しない。もういい歳なので、最後いい感じで、格闘技を終わらせることができればと思いまして」と、独特の言い回しで意気込みを語った。
K-1復帰は「僕は自分をマイナスに捉える人間。人に必要とされて、こんなにありがたいことはない」と、K-1サイドから話をもらったことが決め手になったとのこと。また、自身がK-1、プロレス、ボクシングと様々なリングを経験してきたこともあり、「10年後にプロを目指す子たちが、もっともっと格闘技で選択肢が広がればいいというのが一番の願い」という目標もあるという。そのため、今後もボクシングのリングにも上がり「どこにも角が立たないように。(K-1とボクシングを)両方やるという夢もある」という。
そんな真面目な目標を語ったかと思えば、「久しぶりに卜部の兄貴(卜部弘嵩)に会いましたけど、K-1に出たら芸能人と結婚できるということなので(笑)、私もちょっとそれを楽しみにしております」と邪な野望も口にしていた京太郎。「僕は基本的に人生65%と思っていて、今までのK-1やボクシングも65%である程度やってこれました。でもK-1は75%、80%でがんばってみようかなと思いますね」と、以前よりも力を入れて、K-1のリングに上がることを宣言していた。
京太郎
「僕はK-1からスタートし、その後にプロレスを1試合やり、ボクシングをやり、そして最後にまたK-1ということになりました。僕はK-1に対して遊びに来たと思っていて、遊びというのも真剣に取り組まないと何事も成功しない。もういい歳なんで、最後いい感じで、格闘技を終わらせられるこが出来ればと思います。あと僕が出たかったABEMAで今日の会見が生中継されて(うれしい)。
(ボクシングを引退してK-1に復帰を決めた一番の理由は?)僕は強くなりたいと思ったことは一切ないですし、格闘技を好きだと思ったことも一切ないです。本当に格闘技が嫌いで、格闘技は僕からしたら、早くやめるべきだなと、頭にも良くないしと思ったんですけど、17歳の時に自分の人生を懸けて、関西からのこの道を選んでずっとやってきて、この道があるんですけど……。
ああ、K-1復帰を決めた理由! 僕は自分をマイナスに捉える人間です。人に必要とされて、こんなにありがたいことはなです。以前K-1をやめて格闘技やめようと思っている中でボクシングの話をいただき、ボクシングでも僕の夢が達成できて、今回K-1の話をいただいて。僕はK-1の話をいただかなければ、どこにも行かなかったし(格闘技を)やめてたと思います。26歳くらいから早く格闘技をやめたいと思っているんですけど、34歳の今でもやっているということは、自分が必要とされているんだなと思います。
(K-1に再参戦に向けての練習環境や練習状況は?)僕、人生ノープランでやってまして、僕もこの2年間はほとんど家にいまして、練習していませんでした。先日一回蹴ったところ、両足の足の裏の皮がめくれるという緊急事態が起きて不安ではありますが、試合まで2カ月しかありません。とんでもない不安ですけど、私はやりたいと思います。あとは先日、久しぶりに卜部の兄貴(卜部弘嵩)に会いましたけど、K-1に出たら芸能人と結婚できるということで、私もちょっとそれを楽しみにしております(笑)。
(どんな選手と対戦したい?)僕自身、プロで15年やってきて、一度も誰かと戦いたいと思ったことはありません。やれと言われればやるのが格闘家です。僕自身、こんな格好して真面目なことを言いますけど、なぜこんな苦労をしてK-に1来たのか?と言われますけど、僕はボクシング界に凄いお世話になって、K-1にもお世話になっています。僕はこれからボクシングでも試合したいし、(K-1とボクシングを)両方やっていきたいという想いがあります。僕の最終目標は、10年後にプロを目指す子たちが、もっともっと格闘技で選択肢が広がればいいということ。それが一番の願いです。本当はそういうことを思う人じゃないですけど、ここまで歳を食ってみて、いろんな格闘技をやってみて思うのは、そのことですね。
10年後、子供が、もしかしたら状況的に格闘技をやっている子が減っているかもしれないですけど、それ以上に格闘技の選択肢を、いろんな団体もあるんでね。選択肢を増やしてあげられれば、一番の幸せかなというのが僕の考えです。(ボクシングにももう一度上がりたい?)僕はそれをやるために、どうにかしてどこにも角が立たないようにやろうと思っています。(K-1とボクシングを)両方やるという夢もあるんで、誰が(その方法を)知っているか分からないですけど、僕はそういう風に動きたいな、と。
(後輩の武尊選手がスターになり、卜部兄弟も活躍をし、それを見てきて刺激された部分はあった?)僕自身、自分のコンプレックスが強くて、自分も人並みに見られたいと思って、チームドラゴンからスタートしてみんなと共にやってきましたけど、僕はずっとボクシングやっている時もずっと暗いトンネルの中にいたというか。ボクシングは競技性が強いスポーツなんで、ずっと一人で戦ってるなと思っていました。17歳で関西から出てきた時も一人でやってきて、ヘビー級という環境もずっと一人でやって来て。特に教えてくれる人もいない中で格闘技を続けてきて、僕は自分の決意を持ってボクシングに行って、その中で後輩のみんながK-1という新しい舞台に立ってでがんばってることは僕にとってうれしいことですね。
みんなが強くなっていくのはうれしいことだし、またこうやっていろいろ回り回ってきましたけど、一緒にできるというのは僕にとってもいいことです。またみんなで一つのものを作り上げていけたら、みんなとまた一緒に(格闘技を)できるのは凄いありがたいです。僕もみんなに負けないようにまた新たに一からという意味で、K-1に対して全力でやる。全力って、僕は基本的に人生65%と思っていて、今までのK-1やボクシングも65%である程度これたんで、ちょっとK-1は75%、80%でがんばってみようかなと思いますね。
今日の会見にK-1とボクシングのベルトを持ってきましたが、過去の栄光には一切興味がないし、格闘家としてそこを誇っているわけでもないですけど、この二つ(K-1とボクシング)を背負ってきているという想いがあるし、さっき言ったように10年後に格闘技の選択肢を増やすことが目標で、僕はこうやってそれを体現してきていると思います」
なお、復帰戦の相手に関しては、会見に同席した中村拓己K-1プロデューサーが「K-1にはヘビー級とクルーザー級(90kg以下)があるので、どちらで戦うのかも含めて、対戦相手のことも調整していこうと思います。クルーザー級は日本人選手も多いですし、京太郎選手と対戦相手が並んだ時に面白そうと思える、ワクワクするような相手をぶつけるのがいいと思います」とコメント。「京太郎選手しかできないことがたくさんあると思うんで、そういったものをK-1という舞台で実現させて、皆さんに楽しんでもらえればと思っております」と、かつてのヘビー級王者の活躍に期待を寄せている。
その京太郎は会見場にピンクのアフロのかつらを被り、奇妙な眼鏡をかけ、さらに馬のマスクと狼のマスクを被った謎の人間たちに、それぞれベルトを持たせて登場。奇抜なキャラクターに一層の磨きをかけてきた京太郎は、「僕はK-1からスタートし、その後にプロレスを1試合やり、ボクシングをやり、そしてまた最後にK-1ということになりました。僕はK-1に対して遊びに来たと思っていて、遊びも真剣に取り組まないと何事も成功しない。もういい歳なので、最後いい感じで、格闘技を終わらせることができればと思いまして」と、独特の言い回しで意気込みを語った。
K-1復帰は「僕は自分をマイナスに捉える人間。人に必要とされて、こんなにありがたいことはない」と、K-1サイドから話をもらったことが決め手になったとのこと。また、自身がK-1、プロレス、ボクシングと様々なリングを経験してきたこともあり、「10年後にプロを目指す子たちが、もっともっと格闘技で選択肢が広がればいいというのが一番の願い」という目標もあるという。そのため、今後もボクシングのリングにも上がり「どこにも角が立たないように。(K-1とボクシングを)両方やるという夢もある」という。
そんな真面目な目標を語ったかと思えば、「久しぶりに卜部の兄貴(卜部弘嵩)に会いましたけど、K-1に出たら芸能人と結婚できるということなので(笑)、私もちょっとそれを楽しみにしております」と邪な野望も口にしていた京太郎。「僕は基本的に人生65%と思っていて、今までのK-1やボクシングも65%である程度やってこれました。でもK-1は75%、80%でがんばってみようかなと思いますね」と、以前よりも力を入れて、K-1のリングに上がることを宣言していた。
京太郎
「僕はK-1からスタートし、その後にプロレスを1試合やり、ボクシングをやり、そして最後にまたK-1ということになりました。僕はK-1に対して遊びに来たと思っていて、遊びというのも真剣に取り組まないと何事も成功しない。もういい歳なんで、最後いい感じで、格闘技を終わらせられるこが出来ればと思います。あと僕が出たかったABEMAで今日の会見が生中継されて(うれしい)。
(ボクシングを引退してK-1に復帰を決めた一番の理由は?)僕は強くなりたいと思ったことは一切ないですし、格闘技を好きだと思ったことも一切ないです。本当に格闘技が嫌いで、格闘技は僕からしたら、早くやめるべきだなと、頭にも良くないしと思ったんですけど、17歳の時に自分の人生を懸けて、関西からのこの道を選んでずっとやってきて、この道があるんですけど……。
ああ、K-1復帰を決めた理由! 僕は自分をマイナスに捉える人間です。人に必要とされて、こんなにありがたいことはなです。以前K-1をやめて格闘技やめようと思っている中でボクシングの話をいただき、ボクシングでも僕の夢が達成できて、今回K-1の話をいただいて。僕はK-1の話をいただかなければ、どこにも行かなかったし(格闘技を)やめてたと思います。26歳くらいから早く格闘技をやめたいと思っているんですけど、34歳の今でもやっているということは、自分が必要とされているんだなと思います。
(K-1に再参戦に向けての練習環境や練習状況は?)僕、人生ノープランでやってまして、僕もこの2年間はほとんど家にいまして、練習していませんでした。先日一回蹴ったところ、両足の足の裏の皮がめくれるという緊急事態が起きて不安ではありますが、試合まで2カ月しかありません。とんでもない不安ですけど、私はやりたいと思います。あとは先日、久しぶりに卜部の兄貴(卜部弘嵩)に会いましたけど、K-1に出たら芸能人と結婚できるということで、私もちょっとそれを楽しみにしております(笑)。
(どんな選手と対戦したい?)僕自身、プロで15年やってきて、一度も誰かと戦いたいと思ったことはありません。やれと言われればやるのが格闘家です。僕自身、こんな格好して真面目なことを言いますけど、なぜこんな苦労をしてK-に1来たのか?と言われますけど、僕はボクシング界に凄いお世話になって、K-1にもお世話になっています。僕はこれからボクシングでも試合したいし、(K-1とボクシングを)両方やっていきたいという想いがあります。僕の最終目標は、10年後にプロを目指す子たちが、もっともっと格闘技で選択肢が広がればいいということ。それが一番の願いです。本当はそういうことを思う人じゃないですけど、ここまで歳を食ってみて、いろんな格闘技をやってみて思うのは、そのことですね。
10年後、子供が、もしかしたら状況的に格闘技をやっている子が減っているかもしれないですけど、それ以上に格闘技の選択肢を、いろんな団体もあるんでね。選択肢を増やしてあげられれば、一番の幸せかなというのが僕の考えです。(ボクシングにももう一度上がりたい?)僕はそれをやるために、どうにかしてどこにも角が立たないようにやろうと思っています。(K-1とボクシングを)両方やるという夢もあるんで、誰が(その方法を)知っているか分からないですけど、僕はそういう風に動きたいな、と。
(後輩の武尊選手がスターになり、卜部兄弟も活躍をし、それを見てきて刺激された部分はあった?)僕自身、自分のコンプレックスが強くて、自分も人並みに見られたいと思って、チームドラゴンからスタートしてみんなと共にやってきましたけど、僕はずっとボクシングやっている時もずっと暗いトンネルの中にいたというか。ボクシングは競技性が強いスポーツなんで、ずっと一人で戦ってるなと思っていました。17歳で関西から出てきた時も一人でやってきて、ヘビー級という環境もずっと一人でやって来て。特に教えてくれる人もいない中で格闘技を続けてきて、僕は自分の決意を持ってボクシングに行って、その中で後輩のみんながK-1という新しい舞台に立ってでがんばってることは僕にとってうれしいことですね。
みんなが強くなっていくのはうれしいことだし、またこうやっていろいろ回り回ってきましたけど、一緒にできるというのは僕にとってもいいことです。またみんなで一つのものを作り上げていけたら、みんなとまた一緒に(格闘技を)できるのは凄いありがたいです。僕もみんなに負けないようにまた新たに一からという意味で、K-1に対して全力でやる。全力って、僕は基本的に人生65%と思っていて、今までのK-1やボクシングも65%である程度これたんで、ちょっとK-1は75%、80%でがんばってみようかなと思いますね。
今日の会見にK-1とボクシングのベルトを持ってきましたが、過去の栄光には一切興味がないし、格闘家としてそこを誇っているわけでもないですけど、この二つ(K-1とボクシング)を背負ってきているという想いがあるし、さっき言ったように10年後に格闘技の選択肢を増やすことが目標で、僕はこうやってそれを体現してきていると思います」