ニュース
[ニュース]2016.2.10
山本優弥が引退を決意、4・10「Krush.65」で引退記念セレモニー「これからは価値のある人間、男になって恩返ししていきたい」
    
 2月10日(水)、東京・大久保にあるGENスポーツパレスにて記者会見が行われ、山本優弥の引退が発表された。4月10日(日)後楽園ホール大会「Krush.65」では、山本のこれまでの功績を称えて引退記念セレモニーが執り行われる。
 山本は2001年9月、17歳という若さで全日本キックボクシング連盟においてプロデビュー。その後、全日本キック第23代ウェルター級王座戴冠をはじめ、K-1 WORLD MAXでは09年と11年の日本トーナメントで準優勝するなど活躍。09年はK-1 MAXの世界トーナメントにも進出し、世界第3位の戦績を残すなど、中量級戦線を大いに盛り上げてきた。しかし、今回は首の負傷でドクターストップがかかり、約14年半にわたる現役生活にピリオドを打つことを決意。

今回の引退発表について、山本は「お医者さんのほうから『もう試合はできない、やったら死ぬ』と言われました。家族は関係ないといったらアレですが、死んでも続けたかった。逆にリング上で死んだら幸せなんですが、もし死ねずに下半身不随になって入院生活を送ることを可能性を考えたときに、家族含めて心配してくれる人が周りにはたくさんいるので……。最後は自分で引退を決断しました。何も悔いはないです」と、どこか吹っ切れた表情でコメント。

昨年の2・6「Krush.51」小鉄との試合でダウンした際、「いつもとは違う感覚だった」という山本。その後、検査で頚椎を損傷し、脊髄付近まで達しているのが発覚した。以前から首に違和感を持っていたという山本は、「ウェルター級転向以降、自分より上背のある選手との戦いを続けていくことで、首に負担がかかってきたんじゃないかな、と。お医者さんにもそう言われましたし、自分でも心当たりがあります」と、負傷について語った。

 2月の小鉄戦後、ドクターストップがかかった際、「情緒不安定で鬱の症状にまで陥り、これは治さないと生きていけないと思った」という山本は、首の付近にメスを入れることを決意。「脊髄の症状は31年間生きてきて一番怖かった。これから先、誰にも同じようになってほしくないので、選手には検査を受けることをおすすめします」と、自らの体験をもとにアドバイスを残した。

山本がキャリアを振り返って、とくに印象に残っている相手として挙げたのが、藤牧孝仁と濱崎一輝だ。

「この二人とは2戦やって、2回とも負けてるんですよね。再戦では『試合がおもしろくなくても絶対に勝ってやろう!』と思っても勝てなかった二人なので、一生恨むと思います(笑)。でも、現役の全部の試合が印象に残ってますね。全日本ウェルター級チャンピオン決定トーナメントで金統光と湟川満正とやった試合とか。この二つは割とキレイで上手なんですよ(笑)。いまの山本優弥しか知らない人は『へ〜!』ってなる試合だと思います。でも、どの試合も一生懸命だったので、悔いはないです。ホントに幸せな現役生活でした」

「もし最後、引退試合ができるんだったら、(マラット・)グレゴリアンとやりたかったですね」と、最後までファイターとしての矜持を見せた山本は、今後の活動としては指導者を目指したいとし、「僕は自分でいうのもなんですが、いい指導者になれると思っているので。これから、そちらの方向で一生懸命やっていこうと思います」と、展望を語った。

 会見の最後、山本がファンに向けて送ったメッセージは以下の通り。

「17歳から始めて、31歳まで戦えたのは応援してくれるファンのみなさんがいたからです。本当に感謝しています。僕が好きで戦っているだけなのに、それを支えて応援してくださったことは、大きな財産になっています。これからどう恩返ししていくか、それを考えながら一生懸命生きていきたいと思います。価値のある人間、男になって恩返ししていきたいと思うので、これからもよろしくお願いいたします。現役選手としては、いままでありがとうございました」

 数々の激闘で見る者に感動を与えてきた山本優弥。4・10「Krush.65」での引退記念セレモニーでは、現役選手として最後の勇姿を目に焼き付けてほしい。
トップページへ戻る